2011.08.02 嵐も繋ぐ
不明なタイトル、、、(笑)

最初に書いたときのタイトルは「凪」
その次が「連合」
1週間前に書いたこのエントリが本日やっと日の目を見ることになりました

最初のタイトル「凪」
何が凪かって?、、、その頃の気分は凪だったんですよ(笑)
そしたらソウルの友達から電話がかかってきて、今日は凄い雨が降っていてカンナムは大変なことになってるって、、、
その後も新潟などで大雨が降り、昨日はまた夜に地震があって、、
とても「凪」なんで言ってられなくなりました

そんな中、先日「嵐」のコンサートに行ってきました
私の生活にジャニーズはほとんどなかったんですけどね
でも強いて言えば、遥か遥か昔、初めて行ったコンサートは「フォーリーブス」だったんですけどね
さらに言うと初めてファンになったのはそのフォーリーブスに入れなかった「永田英二」なんですけどね

、、、古すぎですやん、、、

そんなこんなで、大人になってからはすっかりジャニーズ系の可愛い男の子と縁のなかったのですが
札幌のコンサートに参戦することができました
それも赤い糸のおかげで、、、
あぁ、、、かつて永田英二のレコードを見つめていた私を
こうして嵐のコンサートに繋げてくれるなんて、、、、ミョンたん
凄すぎです~~~

最高に楽しいコンサートでした
嵐が歌も踊りも想像を遥かに超えて上手かったことに感激
観終って感激したけど、こうやって数日過ぎてさらに元気が出てくるコンサートでした

ミョンたん、Y隊員に感謝☆

そして、、、そんなこんなな毎日を過ごす中、、
ワタクシある御方に専念しておりました
いや、専念じゃなくて、、、 没頭?、、傾斜?、、埋没?
ぷぷぷ、、唐突ですが「連合」とは、、な話、、

韓国最高の映画俳優、ソル・ギョングでございます~
とある場所でソル様連合結成
勢い余って同時にダル様連合も結成、「ソル連」「ダル連」同時結成となりました
ダル様って?ぷぷぷ、、だいたい想像どおりかと~~(笑)

連合結成の主旨は、ひたすら出演映画を観ること、観まくること
ずいぶん前にひとりで「ソルギョング祭り」して
「オアシス」「ジェイルブレーカー」「あいつの声」「熱血男児」「私にも妻がいたらいいのに」「力道山」「シルミド」
等々を観て、「ソルギョングってすごい~~!!」とひとりで絶叫したことはあったのですが
「愛を逃す」でどっぷりモードに
勢いが加速しまして、さらに可能な限りの映画を観ようと私の本性に火がついて(←マニアックモード)
日本では未公開の「解決士」そして「容赦はない」を必死に探し出して鑑賞☆
だ~~いま~~んぞく~~~☆
自分の中でかなりソル様が熟された感じでございます

こんなに映画を楽しませてくれる人はいない気がするのよね
発言もひたすらかっちょいいです

出演した映画に努めて大きな意味をおかないようにしています。1本出たら「いい作品に出られたな」っていう程度で気持ちを新たに切り替えます。作品の公開日になればこれでその作品とさよならできるっていう感じなんです。次々と作品に移らないといけないという理由もあります。1回やったものはすべてカラにしないと次にいけないんです。意味を持たせ続けることは難しいです。夢の中にずっと浸って生きていけるわけでもないですからね。
映画における意味というのは観客が見つけるものだと思っています。だから観客が映画を観た時にそれぞれ違った意味を見つけてくれればいい。好きなセリフは? って聞かれたときにみんなそれぞれ違うように、受け止める意味もみんなそれぞれ違うはずです。映画が完成すれば監督や俳優の手から離れるわけで、後は観客のものになるのだから意味も観客が見つけるものになるんです。


「ソル連」「ダル連」は映画を楽しむが中心の活動となりますのでブログにエントリーする機会はあまり多くないかと思われますが
今後どんな連合が生まれるのか生まれないのか、乞うご期待~~~
              (されてるのかな?。。。。笑)


‘演技派興行俳優’ソル・キョング

# 四人の女、四人の男

ソル・キョング(43)は‘演技派俳優’に指折り数えられる格別な‘興行俳優’でもある。 <シルミ島>(2003)と<海雲台(ヘウンデ)>(2009)、1000万映画が2編ある唯一の俳優だ。 2011年4月現在300万人以上が観覧した韓国映画62編中彼が主役を演じた作品が最も多い。 <海雲台(ヘウンデ)><シルミ島>をはじめとして<カンチョルジュン:公共の敵1-1>(2008) <あいつの声>(2006) <公共の敵2>(2004) <光復節特使~ジェイルブレイカ~>(2002) <公共の敵>(2001)等7編だ。
ソル・キョングは映画監督志望生だった。 1986sis漢陽(ハンヤン)大演劇映画科に進学し映画監督を夢見た。 “監督を上手くやりたいなら演技もしなければならない”という先輩たち話に引かれて演劇をしたことを契機に今日の俳優になった。

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ソル・キョングが俳優としての節目には四人の女と四人の男がいる。 四人の女は演劇<マンソン>(1993)演出者、映画<乙女たちの夕食~ディナーの後に~>(1998)スクリプター、映画<鱒>(1999)のカン・スヨン、イ・チャンドン監督の妻の劇作家イランだ。 四人の男は演劇<地下鉄1号線>(1994~ )のキム・ミンギ、<花びら>(1996)の故ユ・ヨンギル撮影監督、<乙女たちの夕食~ディナーの後に~>のイム・サンス監督、<ペパーミントキャンデー>(1999)のイ・チャンドン監督だ。

# “ギョング、芝居しろ”

ソル・キョングの初めての演劇出演作は<マンソン>だ。 大学1学年の時出演した演劇だ。 ソル・キョングは主人公‘곰치’の娘の‘슬슬이’の恋人‘연철’として登場した。 チョン・スギョン、ユ・オソン、パク・ミソンなどと一緒だった。 後日映画<ゴースト マンマ> <一日> <喧嘩>等とドラマ<恋愛時代>を演出したハン・ジスン監督も出演した。
公演が終わった後ソル・キョングはしばらく泣いた。 心血を注いだ後押し寄せた虚脱感を持て余すことができなくて。 そんな彼は何日か後演出を引き受けた4学年女先輩から手紙を受けた。 練習・公演過程、そしてなくことなどに対して言及しながら映画より演劇を専攻しろとの勧誘の手紙だった。
ソル・キョングは以後演劇作業に積極的に参加した。 自然に映画監督の夢をあきらめて演劇を専攻した。 4学年の時には第1回若い演劇祭公演作<甘くて甘くて明るい甘くて>を演出したし、徳星(トクソン)女子大薬科大演劇部公演作<野牛>客員演出を引き受けることもした。

# “監督様、カットしてはいけません。”

ソル・キョングが俳優に成長するのは<乙女たちの食事>が基礎になった。 彼はホテル職員‘연’(チン・ヒギョン)と一夜を送る漫画家で6分ほど出てきた。 短い時間だが深い印象を残し<幽霊>(監督ミン・ビョンチョン) <鱒>(監督パク・チョンウォン) <鳥は閉曲線を描く>(監督チョンスイル) <ペパーミントキャンデー>(監督イチャンドン)等に相次いでキャスティングされてスターダムに上がった。
しかしソル・キョングが出演した場面は編集作業で半分程度がカットされるところだった。 女スクリプターがイム・サンス監督に切ってはいけないと強力に主張したのに力づけられて6分程度出てきた。 スクリプターが自身の主張を曲げたとすれば彼の出演場面は3分程度に終わっただろう。 そうなったらソル・キョングは映画関係者と記者たちに注目されなかったし、<鱒> <鳥は閉曲線を描く> <ペパーミントキャンデー>等と縁を結ぶことができなかったのかもしれない。
ソル・キョングは後日イム監督にスクリプターの話を聞いた。 しかしスクリプターが監督でデビューしようと書いた作品にソル・キョングは出演しなかった。 色々な理由で。

# “ギョング、出てこい”

ソル・キョングは性格が弱く人見知りが激しかった。対人関係に受動的だった デビュー初期にはこのために困難が多かった。 端役で出演した<花びら> <ラブストーリー> <乙女たちの夕食><幽霊>時には撮影が数日目に終わってそんなに問題になることがなかった。
だが、初めて主役を演じた<鱒>では変わらなければならなかった。 撮影開始から最後まで参加するのが初めてのこの作品でソル・キョングは俳優はもちろんスタッフと親しく過ごさなければならなかった。 そうでない場合撮影会場の雰囲気を誤らせることができるためだ。

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ソル・キョングは主人公がどのように過ごさなければならないかをカン・スヨンを通じて習った。 <鱒>で世俗的な銀行員(ソル・キョング)の妻役を担ったカン・スヨンは撮影がない時俳優・スタッフと席を持つ時ごとにソル・キョングを呼び出した。 ソル・キョングは“ファーストから末っ子まで時々席を別に作って酒と食べ物を買いながらきずな関係を篤実にする姉を通じて多くのことを感じて学んだ”としながら“姉はまた、俳優の演技とカメラアングルの相関関係など演劇と違った映画の特性に対しても教えてくれた恩人”と明らかにした。

# “キム・ヨンホ、ここにいるよ”

<ペパーミントキャンデー>はソル・キョングの出世作だ。この映画の主人公‘キム・ヨンホ’は本来ハン・ソッキュであった。 イ・チャンドン監督が<グリーンフィッシュ>時に早目に議論しハン・ソッキュが受けることになっていた。 しかしシナリオが出てきた後ハン・ソッキュが固辞してソル・キョングにも機会が与えられた。
だが過程が順調でなかった。 初めてのオーディションでソル・キョングは落ちた。 以後イ・チャンドン監督の夫人でありTVドラマ<告白>などの作家のイランの提案でまた機会をつかんだ。 居間で偶然にみたオーディション フィルムでソル・キョングを見て“キム・ヨンホがここにいるよ”とソル・キョングを推薦し、この監督がまたオーディションを見てソル・キョングを指名したのだ。 もしイランがソル・キョングのオーディション フィルムを見なかったとすれば、見て推薦しなかったとすれば、この監督が妻の話を無視したとすれば、ソル・キョングは<ペパーミントキャンデー>と縁を結べなかったし、そうしたとすれば今日のソル・キョングは存在しなかったかもしれない。

# ‘ポスターキャスティング’

ソル・キョングは4学年2学期の時から東崇洞で活動した。 劇団‘漢陽レパートリー’に入団、<心バーハイタカ>(‘심야에는 바바라, 새벽에는 매리와’ 原題‘ライア’)にホモで出演した。
以後大学を卒業、広くて果てしなかったソル・キョングはお小遣さえ貰って使うことができなくて新聞店で挿枝作業をして市内あちこちに演劇ポスターを貼った。
ポスター付着作業をした作品の中の一つが劇団‘ハクジョン’の<地下鉄1号線>。 大学先輩の‘ハクジョン’企画室長の配慮でポスター付着作業をしたある日ソル・キョングは<地下鉄1号線>を準備していたキム・ミンギ氏の目についた。 キム・ミンギ氏は企画室長にソル・キョングに対して尋ねてその場でソル・キョングを<地下鉄1号線>にキャスティングした。
ソル・キョングはこの作品で猛活躍を広げた。 1994年初演の時から96年まで参加した。 80種類余り配役の中で二役を抜いてつくしてみながら多様な経験と演技力を積んだ。 キム・ミンギ氏はこれと関連して、“どうせ長くする演技生活なのに‘王子病’にかかるなと演技力が必要な三流の役割をたくさん任せた”“それでも不平を言わず常に誠実に準備して演技が上手だった”と明らかにしたことがある。
ソル・キョングはまた、キム・ミンギ氏の配慮でミニマム ギャランティー契約を締結、毎月100万ウォン以上の月給を受けた。 無名時代誰でも体験する生活苦を体験しなかった。 乗用車(セピア)に乗って通うほど豊かな生活をすることができた。

# “君のような顔が良い”

ソル・キョングの初めての映画は<花びら>だ。 チャン・ソンウ監督の演出部出身で後日<不朽の名作>(2000)でデビューした大学同期シム・グァンジン監督の推薦に力づけられて端役を引き受けた。 女主人公‘少女’(イ・ジョンヒョン)の行方を追う大学生‘私たち’役を担ってパク・チョルミン・チュ・サンミ・癩瘡陣などと一緒にした。
チャン・ソンウ監督は‘私たち’役を担った俳優に何をどのようにするべきか詳しく教えなかった。 俳優どうし相談した後“このようにします”と持っていけばチャン監督は“違ったが、違ったが…”と空だけ見つめては終わった。 このためにソル・キョングはとても迷い大いに叱りを受けて自信を失った。
しかし<花びら> ‘打ち上げバーティ’時ソル・キョングは救援の天使に会った。 ‘虎先生’だったユ・ヨンギル撮影監督だ。 ユ監督が“警句だ! 君のような顔が俳優をするのに良い。 平凡だから君が努力することによっていくらでも他の顔になれる”と激励を惜しまないのだ。

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ソル・キョングは千軍万馬を得た気持ちだった。 他でもない韓国最高の撮影監督が自身の名前を記憶しているうえに俳優として長所を持ったとして成長の可能性を認めてくれたのだ。

# “ギョング氏、やせて下さい”

<乙女たちの夕食>はソル・キョングに例えばベースキャンプだ。 このベースキャンプで直接導いた船長がイム・サンス監督だ。 <地下鉄1号線>を見た後ソル・キョングを<乙女たちの夕食>にキャスティングしたのだ。
だけでない。 撮影を終えた後イム監督はソル・キョングに“私がギョング氏に望むのはみな選んだ”としながら頂上に上がることができる道一つを教えた。 “助言をすると思っても大丈夫か”と尋ねてソル・キョングが快く応じるとすぐに痩せることを薦めた。 “10K g程度痩せれば多分監督がものすごく探す”としながら。
ソル・キョングはイム監督の話を流して聞かなかった。 明け方と夜、毎日二回ごとジョギングをしながら食事を調節して10Kgを抜いた。 <女の子たちの夕食>を見てソル・キョングを探したパク・チョンウォン・チョンスイル・イ・チャンドン監督が彼を見違えるほど。 特にパク・チョンウォン監督はオーディションを見に来たソル・キョングをそばに置いて“ソル・キョングは来なかったか”と尋ねることさえした。
とにかくソル・キョングは‘ゴムひも体重’で有名だ。 配役に合わせて短期間に体重を調節するあくどい人で他の追従を許さない。

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彼の平均体重は74~75Kg. 2000年<私も妻がいたらいいのに>(監督パク・フンシク)を終えた後2001年<公共の敵>(監督カン・ウソク)でボクシング選手出身刑事役をやり遂げるために14~15Kgを太らせて88~89Kgに作った。 2002年<オアシス>(監督イチャンドン)ではシナリオに‘肋骨があらわれるとみられる’と記されているという点を勘案して1ヶ月半月の間20Kgを痩せて精神障害がある前科者に変身した。 2002年<光復節特使>(監督キム・サンジン)で脱獄した囚人役を消化するために8Kgを太らせたし、<シルミ島>(監督カン・ウソク)ではまた6Kgを抜いた。 2004年<力道山>(監督ソン・ヘソン)では<シルミ島>時70Kgだったモムドゥゲを96Kgにして100~140Kgの前・現職レスラーらと競技を繰り広げた。 2005年<公共の敵2>(監督カン・ウソク)で冷徹な検査になるために1ヶ月の間16Kg程度を減量した。 ズボン サイズが<力道山>時‘39’、<公共の敵2>時‘33’だった。

# “自信ないといってさせた”

ソル・キョングは二回のオーディションを経て<ペパーミントキャンデー>に起用された。 初めてのオーディション2~3ヶ月の後ソル・キョングはイ・チャンドン監督とミョン・ゲナムの訪問を受けた。 夜12時頃この監督とミョン・ゲナムが家に訪ねてきたのだ。
三陟(サムチョク)で<鱒>をとっていたソル・キョングはこの監督の“一緒にしよう”という話を聞いて鳥肌が立った。 しばらく出て行ってくるといった後外側でタバコをものすごく吸った。 “明日本読んでみよう”というこの監督の話にソル・キョングは“してはしたいが能力が…自信がない”と言った。 お辞儀をしても不十分な時に10日が過ぎるように答を与えなかった。 自身のために映画が壊れる悪夢に苦しめられてしなければ後悔するようで駆け寄ることに決心した。 この監督は“他の俳優らと違って自信がないといったのがかえって気に入った”としながら“平凡なマスクにカリスマが弱く見えたが見る時ごとに顔が違ったし、その点が善悪はもちろん多様な色の表現が可能に見えてキャスティングした”と明らかにした。
<ペパーミントキャンデー>撮影機間は5ヶ月半月. 1999年4月中旬から9月末までとった。 30代のソル・キョングはIMFで滅びた事業家、悪質刑事、光州(クァンジュ)民主化運動鎮圧戒厳軍)、純真な工場労働者など複雑多端な40代で20代を生き延びるのに苦役に服した。 この監督の一途のような注文は“演技をするな”であった。 ソル・キョングは演技をしながら演技をするまいとかなり努めた。 スタッフが恐ろしくて近く行くのを敬遠してするほど配役に没入、本当に俳優に新たに出た。 第4回釜山国際映画祭開幕作に選ばれたこの作品で大鐘賞・百想芸術大賞・利川椿事大賞映画祭・青龍映画賞・韓国映画評論家協会賞などで7個の新人男優・主演男優賞を受賞しながら‘ソル・キョング時代’を開いた。


1998年の「ディナーの後に」(처녀들의 저녁식사)は日本でDVD発売されてるんですけど見つからないんですよね
もしやと思ってアダルト系のジャンルも探したけど見つからない~古い映画だから韓国版ももうないし、、
あ~~~~、観たい~~~~!!

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