[キム・ソギュン]放送から映画まで奮い立つ娯楽時間    cine21

<朝鮮名探偵:トリカブトの秘密>キム・ソギュン監督

キム・ソギュン監督

映画界では<朝鮮名探偵:トリカブトの秘密>のキム・ソギュン監督で通じるが、放送界で彼はキム・ソギュンプロデューサーだ。 インタビュー場所に移動するためにKBS放送局周辺をしばらく散策する時、過ぎる人が彼に向かってうれしく挨拶するのを見ると彼は確かにこの分野の古くなった人だ。 彼は各種のショープログラムとドラマを演出してきた。 映画関係者であり放送人、この二種類を併行する場合は多くないが、彼が映画界に名前を知らせたのは自身が演出したシチュエーションコメディ ドラマ<オールドミス ダイアリー>が大きい縁になった。 同じ演出者がドラマを作って同名の題名で劇場版まで作ったが、国内でそのような試み自体が空前絶後だっただけでなく封切り当時この映画は興行成績と関係がなく無視することのできない少数の熱いファンを産んだ。 だからいつか彼がまた戻ることを願う人々がいて彼が帰ってくるならば‘올미다’のような種類でくると予想した。 しかし彼は予想をかなり外れる自分だけの方式できた。 朝鮮時代の探偵と彼の腹心を連れて笑い過ぎ腹痛の史劇世の中を夢見て来たものだ。


-放送と映画二種類を一度にするのは簡単ではないようだ。

=二種類を一度にしたのではなくて…。 本社で配慮して派遣発令式で映画制作業務を遂行してまた戻ったわけだ。 一般会社ではなくて放送局だと見ると制約が減った。 放送と映画の間に共通点はある。 テレビプログラムなら視聴者、映画なら観客、共通して収容者がいる。 基本的に彼らの耳を楽しくし憂鬱な雰囲気を一掃する笑い。 言ってみれば芸能という収容者に楽しみを与えることが本来の任務と考えるから私の映画もそんな形式だ。

-映画は概ね4年ぶりだが撮影序盤ががどうだったか気になる。

=戦略的に見れば初回はスタッフと俳優が呼吸も合わせるべきだが…支えないのが多かった。 (笑) 初回に初めてのシーンを撮ったが、ハンティングした時は青かったきび畑が行ってみたら隙間があった。 葉っぱも予想したよりはるかに大きくなっていたし。 ひとまず接近が容易でなかった。 特に天気のために苦労した。 本来映画の背景は夏なのに秋に入って取り始めたので撮影中に紅葉して雪が降ったら大変だった。 封切り日程は決まっていたし。 そのうちにスタジオ撮影を全部後回しにするほかはなかった。 無条件ロケーション、オープンセットから撮っていった。 しかしこのように‘空間’を中心にとって見たら話上ではごちゃまぜとることになる。 初めての場面とって最後とって話がそこまで展開する前に絶頂をとったり。 私より演技者がとてもこんがらかっただろう。 ふたつのトーンが合うかあのトーンが合うと思いながら。 (笑) それで演技者に几帳面に編集を見せながらした。 そういえば編集過程中に大きい方向転換も一度あった。

-どんな転換があったか。

=推理の部分に該当することだから詳しく話すことは難しいがそれが観客に若干難しく受けられるという意見が出た。 糸口は十分に作っておいたが集中してみなければ難しいこともあるということだ。 それよりはもう少し気楽に行ったらと思うのが大半の意見だった。 そうしようといった。 12才以上観覧可ならば簡単に行くのがよいという考えになった。 本来は糸口を見つけ出して行う推理劇の部分で味出るのもあったが今は説明をたくさんしたらそれはちょっと減った。 それが長所のような気もして惜しい点のような気もする。 だが、娯楽的に楽しむことが優先だと考えた。 ストーリーが理解されないならば娯楽的なポイントを伝達するのはさらに難しいと判断した。

-説シーズン娯楽映画としてポイントを明確に捉えたという意味に聞こえる。

=正月シーズンを念頭に置いたのではなかった。 初めてシナリオ草案を受けた時は映画化するという考えではなくただ見た。 “読んで出てみて下さい”“私は史劇好きではなくてよく分からない”と言いながら見た。 2007年から話があった作品なのに回って回って私にまで来たのかと考たし。 読んでみると娯楽的に何かできそうだった。 それで“私が作れば娯楽的に行くと思うが大丈夫か。 私の心のままにしてもかまわないか”と言ったらそうだと言われたよ。 (笑) 名節を狙ったということより娯楽的に作ることを指向して始めた。

-原作がキムタクァンの<烈女門の秘密>だ。 脚色する過程で気を遣った部分は。

=原作小説をおもしろく見た。 だが、小説自体が映画的ではなかった。 原作を読んだらシナリオ超高価原作を映画的に変えようとした結果だったということを知った。 話した通り娯楽的な要素をたくさん加味した。 ミステリーの部分が追加され、反転ポイントというか強度を高める作業もした。

-現場での即興的な選択もあったか。

=今思い出すのは声太いお上が出てくる場面。 それは本来情報伝達以上の意味がなかった。 ところがお上で出てくる演技者の動画クリップを見たら声がとても良かった。 そういえばキム・ミョンミンも声のトーンが良いじゃない、それではこれを二人の声トーン対決で行ってみればどうだろうか、と思って入れた。 私だけでなくある時期からキム・ミョンミンのアイディアがむやみにあふれ出たよ。

-どんな事か。

=例えばピーナッツ長水路扮装をし終えて他の扮装はみな消しても点一つは残しておいて行こうといったり、美人ある客主(ハン・ジミン)を見てピーナッツを落としたりすること。 扮装のアイディアも本人から多く出した。 キム・ミョンミンが演技した探偵にはひげがあるからあれこれ変装するのに限界があったのに本人はその限界を越えるほど積極的だった。

-オ・ダルスはどうだったか。

=上手くやった。 俳優オ・ダルスが好きだ。 “私はあなたが好きだから映画で長く見れたら嬉しい”と言った。 本人には多分それが負担になったろう。 飽きないようにしながらも長く引っ張っていく役に対する負担。 オ・ダルス特有のトーンも望むが完全に自然なのも必要だといった。 映画前にオ・ダルスが出演する<烏口>公演を見たがその中ですでに自然に観客を引き出していたしそれが良かった。 オ・ダルスが引き受けたソ・ピルのトーンがそんなふうなら良いと考えた。 他の見方をすれば撮影当時には平易に導くトーンに不安だったかも知れない。 だが、結果的にはかえってリアルで良かったよ。 ハプが合わなかったりトーンが合わない部分は現場で捕まえて行ってさらに自然だった。 躍動感ある結果が出てきた。 ー

キム・ソギュン監督

-2人の俳優のコミカルな場面が多い。 ベストを選んでみることができるだろうか。

=キム・ミョンミンとオ・ダルス二人が演技した中では個人的に貯蔵庫で二人首をくくるシーン。 キム・ミョンミンはキム・ミョンミンのままにオ・ダルスはオ・ダルスのままに上手にした。 キム・ミョンミン一人でする場面を挙げようとするなら東屋での場面。 そしてさっき話したお上との低音対決。 そして漢客主に惹かれて移った時の表情も良い。 東屋の場面では堂々としていたふりをしてスウクかけなおして入る若干の卑屈な姿が良くて、お上といる時や漢客主といる時はその短い間の表情変化が良い。 そしてオ・ダルスのためには… (笑) かえって私が現場でNGを出す場合があった。 私は演出者としてモニターよりはもう少し俳優の近所にる主義でそれでカメラのそばによく立っているが、いくら予想しててもオ・ダルスの演技を見たら笑いをこらえにくい。 映画でオ・ダルスが狂ったように一人で“腹がへって、腹がへって”とするところがある。 本来台詞はそのまま単純にペゴパを話すだけだった。 それをしてみようというから本人も初めにはばつが悪いだろう。 だが、それがオ・ダルス式になったよ。 事実映画に含まれたのはNGカットなのに良くて切って使った。 (笑)

-キム・ミョンミンには漢客主、正祖、犬売りなど相手人物に対するごとにトーンを別にしろといったというが、理由が何か。

=人物のトーンをおいてみれば彼のスペックが見られないか。 トーンは何種類があった。 最も男らしいトーン、俗物のようなトーン、正統史劇に似合うトーン、ソ・ピルといる時は高校生の友人どうしノーはそのようなトーン、奴婢に対する時は胸中人本主義が伺えることができるそのようなトーン。 少なくとも四種類以上のトーンが出てきたら良いという話をした。

-俳優と監督の間に意見調整が必要な時もある。

=現場で意見がぶつかる時は互いに合うと論争せずに誰が合うのか無条件周辺呼応で決めようといった。 そして私が押された場合もあるが! (笑) キム・ミョンミンがオ・ダルスに“こういう犬のような奴が”と話す場面がある。 私はその台詞が本当にののしるように聞こえなければなければならないと考えたがキム・ミョンミンは若干ふざけていこうといった。 そう? それでは私がどれくらいクールな演出者かを見せて二種類バージョンでとってみようといった。 当然私のバージョンがさらに似合うと思ったから。 しかし現場技師が二つ中にどかんとキム・ミョンミン バージョンを選んで最終で付けた。 その上スタッフに見せるとすぐに他のスタッフ、なのでもう少し私側だと思った人々までキム・ミョンミン バージョンが良いといったよ。 そのうち私は持ち出す捨てることだ。 (笑い)

-オ・ダルスの演技がが好きな観客のひとりとして彼の演技を長く見るのは大きい楽しみだった。

=コンビ プレーに本当にたけた俳優だ。 ソピル役に色々な俳優の名前が議論されたがオ・ダルス話が出てきた瞬間一瞬にして決まった。 シナリオ賞で見ればソピル役は事実若干そそのかすそのようなキャラクターだ。 ところがオ・ダルスがするからオ・ダルスだけの設定が捕えられる。 演技者が確かに位置づけながらキャラクターが再構築されたのだ。 私もオ・ダルスのファンとして満足でおもしろかった。

-史劇を見ない方だと話したがそれは史劇が概して明らかに見えて普段つまらなかったという話のように聞こえる。

=史劇なら見るという人もいる反面私は韓服を着て出れば変に無条件よく見なくなる。 もちろん根拠がない先入観だが私はそうだ。 だが、そのためにかえって私のように先入観がある人々にもアピールできる場面があったら良いと考えたのも事実だ。

-映画には唯一人物が走る場面が多い。

=スピーディーで躍動的で娯楽的なスケール。 そういうのをすればと思った。 例をあげれば<インディ・ジョーンズ>シリーズもそのように感じる。 初めには無条件走るか、うまく走ればおもしろくないだろうか、こういう考えてあたかも地雷を破って行く感じを考えたしそんな装置をして走ろうと決めた。 走る場面中には編集された惜しい場面もある。 場面自体がひとまず多かったから。 マラソン競技をパロディにしたのもあった。 速度感ある史劇映画が出てきたら良いと考えた。

-反面全般的にちょっと不明瞭だという評もある。

=そんな点があったとすればストーリー自体は単純だがそれを推理ククシクで見せながらできた副作用という。 後部分の有終の美を飾るべきなのに単線でないこの複合ラインをどのように消化するかが最も大きい問題であった。 たとえば8種類ストーリーを8種類で絞り込み合わせたことでなく五種類ストーリーを8種類で絞り込み合わせて見たらできた副作用のようなのではないかしたい。

-意図はしなかったがとにかく一般的な読法で見ようとするならこの映画は続編を約束するように終わる。

=キム・ミョンミンの口で続編話が出て火がついたようだが(笑)。事実編集上では今のそのツーショットがエンディングではなかった。 映画的に続編を想定したことはない。 19年近く放送をしたからなのか映画が私に合わない隈もあるだろう。 今考えようには、そうだな、また映画をすることになるだろうか? しないと思うけど? こうして後ほどまた言葉を変えることもできるだろう。 (笑) とにかく今はたくさんしたという気がする。

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